ふと思い出したネットスラングに「TL;DR(Too Long; Didn’t Read)」というのがある。「長すぎるから3行で頼む」という意味のアレだ。
最近のAIコーディングの進化を見ていると、プログラミングの世界全体がこの「TL;DR」的なスピード感に突入しているのを感じる。
プログラミングは習ってもなかなかできるようなものではなかった。
学校で1年、2年と文法を学んでも、いざ自分で書くと深い壁に絶望する人が多い。「作りたい」という情熱があっても、それをコンピュータが理解できる言葉に翻訳するコストが高すぎたのだ。まず設計をしなければならない。そしてプログラムを書く能力も必要だ。大きなプログラムを書こうと思えば、数々の経験がなければ、とても太刀打ちできるものではない。セミコロンが一つ抜けただけで全否定される世界は、初学者にはあまりに過酷だった。
けれど、今のAIはその壁をいとも簡単に壊してしまった。AIコーディングと呼ばれるのがそれだ。
「在庫管理ツールが作りたい」と投げかければ、曲がりなりにも動くコードが返ってくる。平安の昔に例えるのなら、文章(漢文)を読み書きできるのが一部の特権階級だけだった。そういう時代から、今や誰もが文章を書き、SNSに書き込みができるようになった。
プログラミングもまた、「万人のもの」になりつつある。これは人類史的に見ても、ものすごい転換点に僕らは立っているんだと思う。
じゃあ、巷で言われるように、人間はもう不要なのか? というと、全く逆だ。重要性は増していく。
これからの時代に必要なのは、コードをゼロから生み出す「作家(アーティスト)」としての能力ではなく、AIが生成した膨大なコードを読み解き、構造を理解し、その善し悪しを判断する「編集者」としての能力だ。
「書くこと」はAIに任せてもいい。でも、「読むこと」だけは人間が手放してはいけない聖域だ。
出力されたコードにセキュリティホールはないか? 全体の設計(アーキテクチャ)として破綻していないか? 何より、そのコードの責任を取れるのか?
「構造」を読み解き把握する力(リテラシー)こそが、これからのエンジニア、あるいはプログラミング教育の核心になっていくんじゃないだろうか。
小説を書けなくても、小説の構造を分析し、批評することはできる。
これからのプログラミング教育は、文法から設計の構造まで、本来複数の「職業」にまたがっていた仕事を覚える総合芸術のようなところから、作品の方向性、その設計、そしてそのプロデュース。AIという暴走しがちな超優秀な作家を使いこなすための「編集者」を育てることになるのかもしれない。
膨大なソースコードを前にしても、書けなくても読むことができる。そして、AIに指示を出すこともできる。そんな新しい世代のリテラシーをどう育てていくか。
古い人間としての経験則(勘)を、新しい時代のブレーキとしてどう継承していくか。それが、僕らベテラン世代に課された、最後の、そして一番面白い宿題な気がしている。